元気な時間

元気な時間ってありますよね。

頭が良くまわる時間や、体がよく動く時間だとか。

実際に考えたり、動いたりした時に普段よりもよくできてると感じる時。

たいていその行動をした時に結果としてわかるのですけども。

 

これをうまくとらえてコントロールできないものですかね。

もしくは意識的にそういった状態を作り出せないものですかね。

今はわからないのですけども。

 

パフォーマンスっていう言葉を考えた時に

人はパフォーマンスのブレが大きいと思います。

(ちなみにここでいうパフォーマンスの意味は性能や効率です)

集中することもムラがありますし、体の動きもすぐに疲れて低下しますよね。

(集中時間は15分周期で45分が限界らしいです。テレビとかも10〜15分でCM入りますね)

 

あれこれ書きなぐっておりますが、

心と体の状態のバランスで何か、その時に向いている行動がありそうですね。

考え事は 心:体 3:7 の疲労度とか。

調べればわかりそうですね。

・・・スポーツパフォーマンスと心の関係や、氣の力、心と体の整え方などが検索から出てきましたね。

 

ただ私の集中力がきれましたので、本日はここまで。

ありがとうございました。

 

257

 

 

これは、このバンドは相当にいいものです。

ピリオドをうつ

ピリオド、終止符をーーーうつ。

物事にケジメや決着をつける、そういった意味ですね。

主体的にうっても、うたなくても、たいていは終わりがきますね。

 

主体的にはじめたことは主体的におわりをむかえますし、

受動的にはじめたことは受動的におわりをむかえますね。

 

自分の意思でやりはじめたことは、飽きたり忘れたり、おわりを感じたり、他のものに興味を持ったり、

そうしたことからおわりをむかえますよね。

受動的な理由からもそうですね。

 

だいぶ横道にそれましたが、いずれは終わる、何事も。

終わりを迎える時にどうなっていれば、どういう状態であれば良いですか。

それをゴール、目的というのですかね。

 

ピリオドをうつ時にどうありたいか。

今の自分にはまだまだわかりません。

目の前の今に精一杯で。

でも、「どうありたいか」がわからないなら、「どうありたくないか」はわかるかもしれません。

 

あるべき道が見えなくても時間が自分を歩かせていくものです。

せめてあるべきでない道に進むようにすることもひとつなのだということに気づいた次第です。

とまることはできない世の中で、どう歩んでいくか。

そしてピリオドをうつ時にわかることもあるのではないでしょうか。

 

256

 

 

誰に、何を、どうするか?

誰に、何を、どうするか?

あなたに、この商品を、お届けしたい。

とか

あなたに、この商品を、知ってほしい。

とか

考えております。

 

シンプルな枠組みで物事を深く掘り下げる。

世の中、いわゆる社会は枠組みが一見、複雑に見えるので、

その核心、本質をよくとらえるようにしていきたいものです。

 

ホームページはまた更新されます。

というか更新していきます。

より、みなさんに届くように。

 

255

 

経過、途中

結果は終わりではないとしたら。

結果に成功や失敗がありますがそれは、それで終わりではなく

ある瞬間での判断であるとしたら。

 

まだまだどうにでもなると思います。

状況を把握したということですよね。

 

「結果が出る」のは終わりではないと思えると

もう少し楽にいきていけるのではないでしょうか。

 

254

 

 

落ち着くか、落ち着けるか

いろんなことを考えて、

いろんな行動をしていると、

進んでいるような気持ちになったりします。

そうなると視界が狭くなっていきがちで、

まっすぐ進んでいるのかどうなのか気付きにくくなってきたりします。

 

また焦っていたり、集中していたりすると、

同じように周りが見えなくなってしまうことが。

 

そんな時に落ち着きが視野を広くしてくれますね。

落ち着きがもたらすものは視野以外にも、思考を整理するスペースを心に与えてくれますね。

色々な広がり、を与えてくれますね。

 

たいていは、何かの間に落ち着く、休憩の中に含まれることのように感じますが、

むしろ自分から主体的に落ち着くか、落ち着ける状況に持ち込むかが必要なのではないでしょうか?

 

筋トレやダイエット、スポーツのトレーニングなど、いわゆる物事の進め方、走り方も大切ですけども、

それと同等に落ち着き方、ここの例ですと筋肉の休ませ方、ですかね。

そちらを非常に意識しないといけないな、と感じております。

 

それはなぜか。

広がりによる客観視ができることで、結果や効果量がよくわかることだとか、

俯瞰できることですか。

たいてい物事はずれていきます 。

そのずれが早くわかればよいのですよね。

 

そう考えていくと、主体的に落ち着くことが大切なのだと思いました。

 

253

 

証とは何か。

みなさまお疲れ様です。

福本です。

 

証とは何か。

今回は証、あかしを考えたいと思います。

と言いますのも、本ホームページも様変わりをし、映像のサンプルも視聴可能となりました。

しかしながら、自分が更新しているわけですが、映像を言葉にしてみなさまに価値をお伝えすることが非常に困難でして、

一生懸命に言葉にしているつもりなのですけども、なかなかに難しい。

それならば、言葉を学んでいけばいいと思いましたし、ここで公開して興味ある方にも知ってほしいという想いで今回のはこびとなりました。

ご興味ある方はお付き合いください。

 

最初に「証」自体の意味は?ということで

ネット辞書ですと、

・《「灯(あかし)」と同語源》ある事柄が確かであるよりどころを明らかにすること。証明。証拠。「身の証を立てる」

とか、

・確かなよりどころを明らかにすること

だとか。

なんとなくわかるのですが、ちょっとピンとこない感じですね。

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「証をのこす」という言葉は色々な場面でみたり、きいたりすると思います。

それ以外のコロケーションを調べてみました。

下記がざっくりの一覧です。

証か啖ふに  証をうるや  証をする  証をきく  証は古くより年内立春などいふ  証に追証と重ってきたじゃありませんか  証ぞと云って  証を与えて  証を得んと欲せば  証悟さして呉れる  証なれば誤字等も計り  証とした  証に愚見を一つのべてみます  証として映った  証とみとめて  証約を取ってありますから  証を立ててやりたい  証もとおらなくなる  証として見るべき  証がないから其の儘打捨ておかれた  証は無いというのを公平とする  証も立てて  証とするに足らぬ  証になるだけで  証と書いた  証ばかりに黒い袈裟をつけているに過ぎない  証を見んとならば  証となった  証なんださうだ  証を見せて  証があるか  証なればなり  証にもなる  証とするが  証を立てられてみちゃあ  証として黒印ある  証を示さぬ  証に貰っていた  証に贈ってきた  証へ達するには  証とのみ相応する  証入して  証を我々に示した  証もある  証するに十分な有名な金持ちの船客が片端しから死んでいる  証として仮りに持帰った  証を以て告口せずに置かば  証となすに足る  証を見せられる  証かしてくれる  証を見せた  証の霜とも思われて  証に立てて  証の見える  証の簪だけ得た  証を将て世に吹聴せんとにはあらず  証の意識を描く  証となすには足らざる  証に立つ  証ともなれば  証だけにおいた  証をたてなければなりません  証があり  証を引いて  証にならぬから  証を挙げれば  証を立てますわ  証をもって来ている  証を受取ると  証なんかで遊んでもらっちゃあ  証として与えられた  証とし  証の事実から把握せられる  証の事実といえば  証せらるるなりという  証をなせり  証示されない  証示するに足る  証示している  証を示す  証たる青い頬と凹んだ  証示せんとするにある  証示するように思われる  証示せんと努めた  証示する傾向がある  証示するにある  証にちかづく  証とに関して区分されている  証とがともに存在する  証のごとしといわれ  証は存しない  証もともになくなる  証を顕わす  証が何かなければならないがと思っていたら  証と見るべき  証ともならない  証が入っている

 

証を立てるだとか、示すは見聞きしたことがありますね。

自分としては証は「しるし」なのかなぁと感じました。

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あかし、しるし。

それが確かであるというしるし

→あかし

ですかね。

 

しるし、そう考えてみるとわかりやすくなりましたかねぇ。

あなたのしるし。

芸術家だったら作品ですかね。

働いているみなさんでしたら、その業績ですか。

家族がいる人は家族もあなたのしるしでしょう。

 

仕事があり、家族があり、趣味があり・・・

あなたのしるしはたくさん、様々ですね。

それを集めてひとつのあかしにする。

それが映像商品「証」でしょうか。

 

なんだかうまく伝えられた気がしますので、

今回はここまで。

ありがとうございました。

 

252

 

変化と進化、そして退化

諸行無常・・・物事、万物は絶えず変化をし続ける

一瞬、一分、一時間ともなく変化している。

それは自然の法則と思っております。

 

変化することと進化すること、退化することは別のこと。

変化そのものはどうしようもないことで、

どちらに向かうかの方向、舵取りができるだけなのでしょうか。

 

 

(前にも記載したかもしれませんが)

 

どこに向かうかは自由ですかね。

自由、自分に由る、自分を由りどころにする。

自己を拠り所として向かう先、方向を決める。

 

そうした時、あるべき自己と向かい合う。

そうやって拠り所とする自己を見出す。

言葉にするのは簡単なのですけどね。

 

どこかで自分の思う自分とのズレを感じるときはありませんか。

俗にいう後悔というカタチで。

全ては変化をし続けるということは自分自身でも気づかないうちにズレが生じるということですかね。

つどつど見つめなおす。時間は在る。

 

結局、自分の幸せは自分にしかわからない。

当たり前なのでしょうけども、当たり前と思われるものがいかに困難であるか。

いかに困難であるか。

感じておる次第です。

 

252

映像商品「証」について ー映像をのこすということ・後編ー

前回の続き

「映像をのこすということ」は

「映像は情報量が多い」から。

これはひとつの切り口として、側面としてですけども。

 

情報量が多いとは何か。

ひとつは音が含まれる、資格情報だけでなく聴覚情報も含まれることでしょうか。

テレビをなんとなくつけている方がいらっしゃると思いますが、

それは、誰かの声を聞くことで孤独を紛らわし、安心を得ているというものもあると思います。

音がある、それは心のバランスをとることでもあるのではないでしょうか。

 

連続性による動きを感じられること。

例えば、走っている人を撮影した時に、写真だとその一瞬ですが、映像ですと走り方のフォームや様子がわかりますよね。

疲れているのか、慌てているのか。それが情報量の差なのだと思います。

写真は瞬間を切り取るもので、映像は時間を切り取るものと思っております。

どちらが良いとか悪いとかではなく、そういった特性、特徴があるものだと思っていただければいいと思います。

 

そういった特製のあるメディアなものですから、「のこす」ということに関しても一長一短あると理解していただきたいです。

写真があるからいい、映像があるからいい、というものでもなくて、

「こういう理由でのこす」というところに対してのアプローチとして選択できるように。

 

話がどんどんずれていっておりますね。すみません。

このお話はまた、テーマをしっかり絞ってお伝えしていきたいと思います。

見切り発車すぎました。

 

映像にのこすことはその時間をのこすこと。

写真の瞬間を連続した時間に構築することでストーリーが感じられてきませんか?

前回の映像をもう一度見ていただけると、見え方が変わりませんか?

幼い頃から壮年期を経て行くことでその人の人生、生き様を感じませんか?

4分位の映像に何十年の人生がぎゅっと凝縮されていることが感じられましたか?

そこに確かな人生を感じましたか?

それが「証」です。

 

・・・熱くなりすぎましたね。

 

しかしながら、そうやって人を理解し、これからを生きて行くことは

これからもっと大切になるのではないでしょうか。

おじいちゃん、おばあちゃんのこと。

お父さんお母さんのこと。

みなさんが赤ちゃんから今に至っていること。

映像はそれをありありと理解させてくれます。

 

うまくまとめることは叶いませんでしたが、

そうした想いを持って映像商品「証」を制作させていただきます。

ご興味ある方はご連絡ください。

ありがとうございました。

福本

 

251

映像商品「証」について ー 映像をのこすということ・前編 ー

映像商品「証」は

あなたにとって何の映像に見えますか?

 

単なる写真のスライドショーでしょうか?

確かにそうですね。

 

本日お伝えしたいことは、映像として「のこす」ということとは、どういうことなのか?

ということを、自分なりにお伝えしていきたいと思います。

一度では全てお伝えできないと思いますので、何度かに分けていければとも思っています。

 

まず、あなたは(私も)写真をお持ちですよね。自分の写った。

それを撮影した方と、あなたのご関係は?

あなたが小さな頃の写真はたいていは親御様が撮影しているのではないでしょうか?

そこからはじまって、学校の先生や、友人、先輩、職場の方、親戚など、たくさんの人があなたの写真を撮影し、

あなたとの写真を撮影しました。

撮影することは、当たり前ですが撮る人と撮られる人がいるということです。

 

映像、動画はーーー写真、静止画が連続したもの。連続、つまり時間を扱えるものですよね。

それだけに歴史は写真より浅く、撮影する機器も写真ほど手軽なものではありませんでした。

 

現在はスマートフォンで写真も動画も簡単に撮影できるようになっていますね。

まだまだSNSなどでは写真での共有や保存が主流かもしれませんが、動画も増えてきております。

みなさんは商品・サービスの広告などでは動画を目にすることが増えてきているのは感じておりますか?

Youtubeも個人で映像を発信できるサイトですが、たくさんの方が参画されていますよね。

 

なぜ、映像が増えてきているのか?

「映像は写真よりも伝えられる情報量が多いから」

もちろん他にも理由はありますよ。

 

なぜ、写真でのこしているものを映像にするのか?

その答えの一つが

「映像は写真よりも伝えられる情報量が多いから」です。

 

 

続く。

(ここまで書くのに1時間もかかったため)

 

250

感情を感じる

感情は、感じるもの。

感情はどこから生まれてくるのか。

 

感情は自身から生まれ、自身が感じるもの、だとしたら。

主体的に感じたい、感じるべき感情を選択することができるはず、なのに。

いわゆる嫌な感情、負の気持ちになるのはそれを自らが選択しているからだと。

そういうことなのですか。そういうことなのでしょう。

頭ではわかっているつもり、なのですけども、ついついやってしまう。

 

そういった時は手を合わせるのが良いですよ。

手を合わせる。

 

なむ

 

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