ピリオドをうつ

ピリオド、終止符をーーーうつ。

物事にケジメや決着をつける、そういった意味ですね。

主体的にうっても、うたなくても、たいていは終わりがきますね。

 

主体的にはじめたことは主体的におわりをむかえますし、

受動的にはじめたことは受動的におわりをむかえますね。

 

自分の意思でやりはじめたことは、飽きたり忘れたり、おわりを感じたり、他のものに興味を持ったり、

そうしたことからおわりをむかえますよね。

受動的な理由からもそうですね。

 

だいぶ横道にそれましたが、いずれは終わる、何事も。

終わりを迎える時にどうなっていれば、どういう状態であれば良いですか。

それをゴール、目的というのですかね。

 

ピリオドをうつ時にどうありたいか。

今の自分にはまだまだわかりません。

目の前の今に精一杯で。

でも、「どうありたいか」がわからないなら、「どうありたくないか」はわかるかもしれません。

 

あるべき道が見えなくても時間が自分を歩かせていくものです。

せめてあるべきでない道に進むようにすることもひとつなのだということに気づいた次第です。

とまることはできない世の中で、どう歩んでいくか。

そしてピリオドをうつ時にわかることもあるのではないでしょうか。

 

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