本当にそうなのだろうか。 ほんとうに。 「ほんとうにそうなのだろうか」 そう考えた時にはもう、信じてはいない。 疑念、疑い。 信じたくない、というよりは信じられない。信じることができない。 それは信義に反するから、抵触するから、か。 「私」をすてて「公」になる。 意識が「わたくし」から「おおやけ」にひろがる、ひらける。 「自分」というものの在り方から生じるモノを世界にてらす。 うちからそとへ。そして、そとからなかへ。 余計な執着を手放さないと、いけない。 そう感じるから。 202 2020年5月19日STAFF BLOGBy rubeas