前回から続きまして、文字について。

 

本を読むことは、その筆者との対話ですよね。

その対話は文字を通じて行われますけども、

その文字の先にいる筆者はいつの筆者なのか。

本、そして文字の先に時間と空間を超えた筆者がいて、対話をする。

時間と空間を超える、タイムマシーンですね。一方通行の。(ここでは、そういうことにしてください。)

 

つまりですよ、今文字で残しておけば未来で誰かと対話するかもしれないわけです。

誰も見ていないこのブログも、今の自分の想いを刻んでおくことで、将来誰かと対話し、

誰かの役に立つ可能性があるということですね。

 

現在は、本当にネット上のデジタルデータはほぼ全て残ると思っております。永久に。

ネットリテラシーが問われていますよね。いじめ、炎上とか色々。

 

「本」にしなくとも個人で発信できる、することが一般になる時代に、

どんな言葉を残してあげようか。

自分は困っている人の背中を押してあげることができるような、

必要以上に孤独を感じている人の心に寄り添えるような言葉を残してあげたいですね。

 

わかったこと

昔は「本(思想)」を作ることができる一部の人と皆が対話をしていた(一部と全体)

↓↓↓

今は個人個人がネットワーク上で「本(エッセイ)」を発行し、個人個人で対話をしている(個人と個人)

 

※ここでいう一部はいわゆる社会的に権力がある人(文化人、有名人とか)

※ここでいう個人はそういった一部の人たちを含めた人たち(一般人とか有名人とか関係ないフラットな個人)

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ちょっと遠くに来すぎましたのでそろそろ終わりますけども。

「文字」は見るのも書くのもいいものです。

タイトルの文字の力には届きませんでした。すみません。

 

未来に残すという意味では弊社の「証」と「祝」もこの時代だからこそのものです。

文字以上に映像の力を感じて欲しいです。

ありがとうございました。

 

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